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野底小学校の風景

   
   
  
  
 

学校の成り立ち

学校の成り立ち

 本校は石垣島の中央よりやや北側、於茂登連山の北方、石垣市の市街地から北北東24Kmの位置にある。
学校の周辺を見渡すと、東側に於茂登連山の中でひときわ目立つ野底岳(通称:野底マーペー)がそびえ、
北西側に豊かな珊瑚礁を抱える東シナ海、学校に隣接してマングローブ林のニシ浜川、少し離れてカヌーに
よる川上りで知られる吹通川等、海、山、川に囲まれてた自然豊かな地域である。
学校敷地には、平成5年の調査で69種類の樹木・104種類の草花が生育し、
木の実や小動物をえさとするカンムリワシやアカショウビン、ヒヨドリ等の野鳥が飛来する。
こういう豊かな環境を生かして、環境校としての伝統が築かれた。
石垣市教育委員会の花壇コンクールで平成12,13,14年度に最優秀賞を受賞し、平成14年度の県緑化
コンクールでは小中学校のトップとなる「特選」を受賞、更に永年にわたる親子による海岸清掃が評価され、
全国海岸協会から「海岸功労者賞」を受賞している。

ところで野底地域の成り立ちであるが、1732年に黒島から429人の人々が移住して創建された。
当初は吹通川からニシ浜川までの海辺に近い地域を中心に集落をつくり、農業に従事していた。
次第に人口、生産量共に増えてきた。1771年の「明和の大津波」には被害はなかったものの、
その年から疫病が流行したり飢饉で人口が減少し、ついに25人まで落ち込み平久保の安良村へ
移住させられた。
その後長きにわたり、他の地域から数名の人が移り住む程度の状態があった。1906年(明治39年)には
伊原間へ移住となり、野底は完全に廃村状態となった。

現在旧野底村は石垣市教育委員会による遺跡の発掘作業が続けられており、平成16年度には市教委が
報告書をまとめている。
  第二次世界大戦後、1953年(昭和28年)、当時の琉球政府の開拓移民計画により、
宮古の平良市、下地町、城辺町、上野村、多良間村、そして沖縄本島の大宜味村、コザ市、具志川村、
越来村、兼城村あたりから移住が始まった。野底地区には1954年(昭和29年)から入植し、
それぞれの出身地を地名とした「越来・美野(現在栄)」「兼城」「下地」「多良間」の集落が形成された。
その後1956年(昭和31年)には「伊土名(糸名)」集落ができ、現在野底校区は5つの集落からできている。

新天地に夢と希望を抱きつつも全くのゼロからの出発で、廃村以来手つかずのジャングル地帯を、樹木を切り
倒し、大量の切り株を引き抜き、根石を叩き割るなど、想像を絶する苦労を重ねた末、どうにか作物を植えられ
るようにしてきた。
そこに茅葺き家を建て、宮古、沖縄本島から家族を呼び寄せ新しい生活を開始した。

  入植人口の増加に伴い、子女の数も増えてきた。野底地区の要請・協力により、
1954年(昭和29年)12月21日に子女を集め、校長(事務取扱)一人、教諭2名を任命し学校を創立
して授業を開始した。尚、当時の児童生徒数は、小学校39名、中学校11名であった。 翌1955年
(昭和30年)1月20日に
「野底小学校・野底中学校」として設立認可となり、同年1月28日現在で在籍
が小学校113名、中学校43名であった。
同年石垣信良氏が初代校長として任命され着任した。交通手段は厳しく、バスの運行が川平廻り、
伊野田廻りで日に2,3回しかなく、野底を往復するにはかなりの時間を要するため僻地5級地として
指定された。
  年々、児童生徒数が増加し、1963年(昭和38年)4月、中学校は伊原間中学校に統合され、
本校は「野底小学校」として独立校となった。

1960年(昭和35年)の326名(小262名、中64名)をピークに児童数が減りはじめた。
1970年(昭和45年)、1971年(昭和46年)には大旱魃・大型台風により農作物へ多大の被害を受け、
1972年(昭和47年)より離農者が急激に増え、沖縄本島や石垣市の市街地への転居者が増加していった。
その結果、児童数が激減し、1973年(昭和48年)から全学年複式3学級となり、1993年(平成5年)、
児童の在籍数は10人(複式3学級)となり、極小規模校となった。1987年(昭和62年)3月25日に
於茂登トンネルが完成・開通し自家用車による交通の便は改善されたが、バスの運行本数は
以前と変わらないため相変わらず不便な状況にある。

  近年、農業団地を誘致したり、Uターン、Iターン青年が少し増えてきた。豊かな自然に魅せられそれを
生かした仕事を求め内外から移り住んでくる方々も出てきた。こういう方々の子女や学校職員の子女も
加わり児童数が増加して、
引き上げられていた教頭職も、平成11年度に再配置された。

平成16年11月21日に学校創立50周年記念式典・祝賀会が開催され、寄附金等で図書館の拡充、
パソコンの充実、石碑建立をはじめ学習環境が大幅に改善された。

平成17年4月には児童数27人、園児8人となり、完全複式学級が改善され、1,2年生が単式学級となる。
平成20年度には特別支援学級が新設され、児童数37人1学級増の5学級でのスタートとなった。
平成21年度は体育館の新築,平成23年度は特別支援教室とパソコン室が増築された。